ひきこもり ( 時間よ止まれ、扉よひらけ )

 日本の教育は、変な心理ゲームだなーと、ここ海の外から見る時に思うのです。
男の子は、泣かずに強い子良い子。女の子は、やさしくニコニコ、かわいい良い子。
小さい時から、去勢操作する中にいることを多くの子達は気づかずに生きている。
コミュニケーション能力という翼をもがれた天使たちは、少し大きくなって来たとたんに、
勉強の嵐が吹き荒れて、さーやれ! それやれ!と追い立てられる。

世の中の嵐にさらされ、ひきこもりたくなって、当たりまえの状況なのではないでしょうか。

今はそんな時代です。
だいたい、この時代に何で義務教育が中学までなの?
ここおおざっぱなアメリカでさえ、義務教育は高校迄あるのに。
いろいろな意味で、日本は戦後からほとんど脱皮できていない。
日本に宗教観が存在するとしたら、それは『 学歴信仰 』かもしれない。
最近になって、そんな傾向もくずれて来た様子だ。
ゆとりの教育改革的なものがスタートしたらしいけれど、さんざんのいじめや、自殺や、凶悪犯罪が起きているにも関わらず、
日本は変化することを非常に恐れる島だと感じる。

 環境調査は、国の都合の良いように操作されている。
外観だけが変わっても・・・・ちょっと洋服着替えたのと同じことです。
小学校、中学、高校と『 こんな勉強のどこが、私の将来に深く関わるというのだと、小さい頃に感じていた。
テストの後、夕食を食べる頃には忘れてしまうような、やけに難しい公式や化学式のどれが、将来幸せをもたらしてくれるというのか。
私はもっと、将来の自分の為の投資となるような勉強を選んでみたい。』といつも思っていた。

 学校で、自分自身の意見を発言しろと聞かれ、いざ言ってみると、
「 それは、◎ ◎ ◎ ◎ と言い替えた方が人に対して良く伝わると思いますね。」
などと言われて訂正される。
『人に対して良く伝わるって、自分の意見は自分が感じたことを、自分流の言葉で言うってことでは?』
『自分の感じたままは、自分の意見ではないのか 』と思った。

 How do you feel ?  「どう感じているの?」という質問に答えられる、感じる心が大切です。
自分に対しても聞いて欲しい。人は感情があるから生きていられるのですから。
自分自身の意見というのは、自分が感じている今の思いを、そのまんま表現するということでしょう。
何でそれを誰か他の存在から受け入れられるように、訂正されなくてはいけないのか、理解に苦しむ。

「私の意見など聞いてはいないのだ」と深層意識は、世の中を認識するのです。
これに似たような事は、日本の学校でたくさん起こっている。
統計的に、 
自尊感情 =[ 自分は愛される価値がある存在で、自分の意志で物事を成し遂げる力を持っている。]
という思い(自尊心) について調べた結果、アメリカの子供達の自尊感情が高く、日本の子供は低い自尊感情を持っている
という調査報告がある。
自尊感情が低いのに、回りから自分の意見を散々訂正されたり、否定されたりする機会が多い毎日の日本です。
その後に残るものは、自己否定感情しかないのではないでしょうか。

自己否認 ― このままでは駄目なんだ。自分は社会には受け入れられないんだ。
自己硬直 ― 自分と他人は違い過ぎる。でも自分のこともよくわからない。
自己沈黙 ― しゃべれば、他人は攻撃して来る。黙っていよう。
自己孤立 ― 生まれる前のように、殻の中にいれば、とりあえずは誰も追って襲って来ない。

人に対して、どんな言葉を話してコミュニケーションしていいかわからない。
そんな言葉をよく耳にします。

人とのコミュニケーションが怖いという若者も増えています。
日頃は、あまり感じていなくても、あるきっかけで、大きな傷口を残して、世の中から隠れてしまうことがあります。

あきらめなくてよいです。
コミュニケーションの仕方を学ぶ方法もたくさんあります。
他のコーナーでもお話ししていますが、人間のストレス抵抗系とは、原始的なまま人類の中に留まっているのです。
つまり FIGHT or ESCAPE 的なシステムなのです。
戦って駄目なら逃げるのが、普通の人間の生存本能です。

それはある種、退行ともとれるような自己防衛反応とも言えますが、その心の奥底には
『 自分を守りたい。自分を愛している。助けて欲しい、自分を認めて欲しい、受け入れられたい 』
という肯定的欲求がかくれています。

その欲求の中には、とても強くてあったかい愛情がいっぱいあって、
自己治癒力という、エネルギーが満ちています。

家庭は、唯一癒しのある場所です。
ひきこもり翼を休められる安全な所なのです。
自分の限界を認める勇気があるから、戦いを止めることが出来るのです。

特に日本では、自分で自分のリミットを認めることは、恥ずかしいこと、良くないこととされて来ました。
医者が自分の治療の限界を認めてしまったら、「 やぶ医者。」と呼ばれるでしょう?

でも、その
限界を認めることで、患者さんに他の医療技術を紹介し、与えるチャンスを開いてあげられるのです。
自分の治療の限界を、自ら認められる医者は有能な医者であると思います。
立ち止まる勇気は、新しい方法やエネルギーを産む出発点となるのです。
何事でも、右に同じを良しとし、それでいてお腹の中ではそう思っていない屈折している人よりも、
ひきこもりという表現をできる人の方が、正直で、ほこりを持って生きていると思いませんか?

 自分のポリシーに嘘をつけない人。
もし、あなたが、ひきこもりをしている方のご家族ならば、むしろその表現の正直さまっすぐさを
誇っていただきたいと思います。

日本は、いい国ですが、自己表現については、原始時代のようです。
だから、 
ひきこもりという現象が警鐘を鳴らしているのです。

個性のある自己表現、自己主張。
自分は人と違っていてもいい。
傷つけて来た人には、「嫌だ。止めて!!」と表現できる。
健康な言葉で言える社会に、
日本は変化していかなければいけないのです。
人生には、時に、時間を止めなければならない時があります。

思いっきり休むことが必要な時があります。

そこから脱出するためには、社会の動きを見ないで立ち止まってみる必要があるのです。
自分はなにを感じていいのか、自分がどこを歩いて行きたいのか。
誰かの助けを必要とする時もあるし、一人でそれが見えてくる人もいるし、人それぞれです。


時計を止めましょう。
 今の状態を十分に受容して、
家族や理解者によって共感され、
自分が自分の受けた傷の原因に気付き、何故心が壊れたのかを理解できれば、
治癒の時が、自然に見えてきます。

 ゆっくり生きてみましょうか。

良い子燃え尽き症候群の日本人
正直に心から感じた言葉を話そうよ。
時間よ止まれ、そして、扉よひらけ








        
















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